ぼっちぼちの旅日記

各地の鉄道の懐かしい思い出を写真と共にたどります 。

カテゴリ:関東地方 私鉄 > 玉電

今回は44年前にタイムスリップします。
 
1960年代後半は、都市から次々に路面電車が消えていきました。
 
東急電鉄 玉川線もこの撮影を終えた翌日に廃止されました。
 
始めの写真は渋谷駅の玉川線ホームです。
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停車中の150系は世田谷線の下高井戸行きです。
行先表示板には赤に白抜き文字で行き先が表示されていました。
 
次は、二子玉川園の停車場です。
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ここから砧線も出ていました。
廃止前日だからでしょうか?ホームにはたくさんの人が集まっていました。
 
その砧線です。
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二子玉川園を出た電車は、単線の専用軌道線を走っていました。
 
もう一枚、反対側から撮影しました。
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住宅地のすぐ裏を走っていました。
 
最後は二子玉川園駅近くの二子玉川線の専用軌道線です。
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こちらは、堂々とした複線の軌道線でした。
 
頭の中では、いまでもちょっとそこまで行けばこんな風景に出会えるような気がしますが、現実には、すでに忘却の彼方に飛び去っています。
 
次回も古い写真が続きます。
 
では、ぼちぼちと。
 

1969年3月には、この年の5月11日に廃止された東急玉川線を訪れていました。
 
玉電には、子供の時分は随分乗った記憶があるのですが、フィルムに残っているのは、この時ともう一回だけです。

片側三扉と都電より大振りで、二輌連結もあったので、路面電車というより郊外電車といった感じでした。
 
古参のデハ70形です。
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最もポピュラーな80形です。
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当時の最新型の150形です。
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三軒茶屋は、下高井戸への分岐点で、上の写真は、現世田谷線の専用軌道です。
分岐点はこんな感じでした。後方が下高井戸に向かう線です。
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そして、玉電の顔、デハ200形のペコちゃんです。
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正面から撮るとイモムシのようです。
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正面のアップです。
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デハ200形の車内です。
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一軸の中間台車を掃いた連接車で、幾分弾むような乗り心地だったように
覚えています。
 
では、ぼっちぼちと。

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