小泊から金木までバスで来て一泊しました。
斜陽館に泊ったかどうかは旅日記には書かれていません。
でもお茶くらい飲んだ記録がかすかに残っています。
一応、小説「津軽」に影響されて、龍飛、小泊を訪れたのですから。
金木駅です。
今は瀟洒な駅になっていますが、この時は雪にも風にもつぶれない
頑丈な駅でした。
金木では岩木山を遠く望んで2本の列車を撮っています。
旅日記には、「中里行きはDC単行だが、五所川原行きは
DL+ホハ+ホハ+オハ+オハ+オハとご立派な編成」と書いています。
(客車の形式は五所川原で間違えに気づきました)
そして、この2列車だけで津軽鉄道の全形式が撮れてしまいました。
この後、キハ24024+ナハフ1201で五所川原まで行きました。
途中で見た岩木山。美しい山で文字通り「津軽富士」です。
五所川原では車両たちを撮影しています。
初めに、ナハフ1202。元西武鉄道の151系です。
つぎにキハ2403。キハ24000形が導入されてからは、
客車として使用されていました。
オハ313です。オハ31は3台いましたが、中ほどのオハ311は国鉄時代
の形に復元され、大宮の鉄道博物館で展示されています。
また、オハ31はストーブ列車なのですが、夏季のためストーブが
外されているのでしょうか、ストーブの煙突は見られませんでした。
DD351です。
DD350形は2台いて、いまだに現役だそうです。
もう1台のDD352です。現在はこちらばかりが動いているようです。
DD51を思わせる面構えですね。
単行で走っていたキハ24024です。
最後に、雪かき車のキハ101。この車両もいまだに現役だそうです。
これにて津軽鉄道の撮影を終わり、1727D(キハ17370)にて
弘前に向かいました。
折しも五所川原駅では1730レのミキストに遭遇しました。
では、ぼっちぼちと。
斜陽館に泊ったかどうかは旅日記には書かれていません。
でもお茶くらい飲んだ記録がかすかに残っています。
一応、小説「津軽」に影響されて、龍飛、小泊を訪れたのですから。
金木駅です。
今は瀟洒な駅になっていますが、この時は雪にも風にもつぶれない
頑丈な駅でした。
金木では岩木山を遠く望んで2本の列車を撮っています。
旅日記には、「中里行きはDC単行だが、五所川原行きは
DL+ホハ+ホハ+オハ+オハ+オハとご立派な編成」と書いています。
(客車の形式は五所川原で間違えに気づきました)
そして、この2列車だけで津軽鉄道の全形式が撮れてしまいました。
この後、キハ24024+ナハフ1201で五所川原まで行きました。
途中で見た岩木山。美しい山で文字通り「津軽富士」です。
五所川原では車両たちを撮影しています。
初めに、ナハフ1202。元西武鉄道の151系です。
つぎにキハ2403。キハ24000形が導入されてからは、
客車として使用されていました。
オハ313です。オハ31は3台いましたが、中ほどのオハ311は国鉄時代
の形に復元され、大宮の鉄道博物館で展示されています。
また、オハ31はストーブ列車なのですが、夏季のためストーブが
外されているのでしょうか、ストーブの煙突は見られませんでした。
DD351です。
DD350形は2台いて、いまだに現役だそうです。
もう1台のDD352です。現在はこちらばかりが動いているようです。
DD51を思わせる面構えですね。
単行で走っていたキハ24024です。
最後に、雪かき車のキハ101。この車両もいまだに現役だそうです。
これにて津軽鉄道の撮影を終わり、1727D(キハ17370)にて
弘前に向かいました。
折しも五所川原駅では1730レのミキストに遭遇しました。
では、ぼっちぼちと。
コメント
コメント一覧 (4)
bocchibochi
がしました
この頃はまだ自家用車も道路もそれほど普及、整備されていなかったでしょうから、地方鉄道は通勤通学の足として貴重だったのでしょうね。写真を見てもどの車輌にもそこそこ乗客の方が乗ってますね。
bocchibochi
がしました
bocchibochi
がしました
さすがにプロは見るところが違いますね。ベルト駆動の旋盤があったのですか。この光景はまさに「津軽の野ずら」ですね。こころが休まります。
bocchibochi
がしました