田野から542Dで16:13に宮崎に戻り、16:44発の1547レで都城に移動したようですから、宮崎駅滞在時間はたったの34分。それでも宮崎機関区はホームのすぐ前だと思いましたので、主要な蒸気機関車は写せたのでしょう。
当時の宮崎機関区所属のC57は、ネット情報によると、C574、36、49、65、66、109、112、115、116、117、176、178、187、191、192、196、199。
C56は、C5692、135 だったそうです。
3次型のC57178
カラーで前面を撮っています。カビだらけの写真ですが、青色ナンバの感じがすこしでも残せれば。
冬の夕方ですからまともな色を期待する方が無理ですね。
4次型のC57191
このカマの走行写真はいまでも私の部屋に飾ってあります。当時のカレンダだったかな。
1次型の門デフのC57112
このカマは青色ナンバではなかったようです。
同じく1次型の門デフのC57116
C56135
このカマも青色ナンバではなかったようです。
ほとんどのカマのデフとランボードには白線が引かれ、きれいに整備されていました。
そして、1547レの先頭に立っていたのは、朝方撮影したC574でした。
C574のボイラ先端は角が丸められておらず、C55と同じように切りっぱなしです。
もちろん座ったのは機関車の後ろ。オハフ33 346でした。
そして都城駅に到着。
この日はここから吉松まで移動して宿をとったようです。
では、ぼっちぼちと。
当時の宮崎機関区所属のC57は、ネット情報によると、C574、36、49、65、66、109、112、115、116、117、176、178、187、191、192、196、199。
C56は、C5692、135 だったそうです。
3次型のC57178
カラーで前面を撮っています。カビだらけの写真ですが、青色ナンバの感じがすこしでも残せれば。
冬の夕方ですからまともな色を期待する方が無理ですね。
4次型のC57191
このカマの走行写真はいまでも私の部屋に飾ってあります。当時のカレンダだったかな。
1次型の門デフのC57112
このカマは青色ナンバではなかったようです。
同じく1次型の門デフのC57116
C56135
このカマも青色ナンバではなかったようです。
ほとんどのカマのデフとランボードには白線が引かれ、きれいに整備されていました。
そして、1547レの先頭に立っていたのは、朝方撮影したC574でした。
C574のボイラ先端は角が丸められておらず、C55と同じように切りっぱなしです。
もちろん座ったのは機関車の後ろ。オハフ33 346でした。
そして都城駅に到着。
この日はここから吉松まで移動して宿をとったようです。
では、ぼっちぼちと。
コメント
コメント一覧 (2)
オハフ33 346からの眺め、イイですね。
何も考えなければつい、ロコのナンバーにピント合わせるものと思いますが、バッチリ客車壁面に描かれた番号が読み取れる写真、ホントイイです。
bocchibochi
がしました
余裕のないスケジュールは今もかわりません(-_-;)。
もちろんピントはナンバープレートに合わせたつもりなのですが、たまたま客車の番号が写り込んでいました。今となっては貴重な記録です。
bocchibochi
がしました