ぼっちぼちの旅日記

各地の鉄道の懐かしい思い出を写真と共にたどります 。

2019年01月

長崎駅から国鉄に乗り入れている島原鉄道に乗りました。撮影地はたぶん長崎駅でしょう。
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キハ55形は国鉄のキハ55形と同機種で自社発注車だそうです。
三本の赤いヒゲは民鉄であることを誇っています。

途中の諫早駅(たぶん)でユニ101を見かけました。
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元キハニ100形で動力を外してユニにしたとのことです。

車庫のある南島原駅ではキハ55形が急行のサボをつけ止まっていました。
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ここから車庫を見学させてもらいました。

主力車のそろい踏みです。
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当時の最新鋭のキハ55形。
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エアサス車だとは知りませんでした。台車はDT23でしょうか。

国鉄のキハ55形と同一車体を用いてキハ26形。
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キハ26形はその後冷房化されたそうです。

国鉄のキハ20形と同一機種のキハ20形。
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逆エンドからも。
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元中国鉄道のキハ250形。
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正面には椎さな窓が並び、運転手の前だけ広い窓になっているように見えます。
また、運転席の前には荷台が取り付けられています。地方鉄道ならではという感じです。
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キハ253のエンジン部分です。当時は気動車の模型を作りたかったのでしょう。エンジン枠の参考写真です。
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戦後国鉄から払い下げられたキハ200形。その前は中国鉄道にいたとのことです。
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キハ?211。エンジンは撤去されているように見えます。
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この形式はウィキにも掲載されていませんし、キハ200形とは窓配置も異なります。客車として使用されていたのでしょうか?興味深いです。

ディーゼル機関車も在籍していました。
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燃料タンクが地中に埋まっていました。

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D37形は1968年製で、当時はデビュー2年目のピッカピカの新車でした。

そしてD37形のデビューでお役御免となったC12。
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ナンバープレートも外されているので番号はわかりませんが、その後静態保存されたC1201かもしれません。

貨車もいました。
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そして最後は倉庫として使用されていた元客車と貨車。
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木造客車もたくさん在籍していたようですから、その中の1台でしょう。

島原鉄道の線区内では走行写真が撮影できませんでしたが、たくさんの車輌に巡り合えて楽しかったです。

この後、フェリーで熊本にわたりました。

では、ぼっちぼちと。

















長崎電気軌道の後に長崎機関区に行っています。

朝方に普通列車を引いてきたC57154がいました。門デフが良く似合います。
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煙室扉ハンドルが磨き出されていて綺麗でした。ランボードの白線は蒸気暖房?の配管のため、見えません。

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サイドロッドも下に降りており良い形式写真になるはずでしたが、作業をされている方がおり、従台車が隠れてしまいました。でも、良い記録になりました。運転室にタブレット受けが付いているので、ナンバプレートが前方に移動されています。

キャブの前方を撮りました。このアングルも好きな角度です。
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ナンバプレートが前に移動されているのが良く分かります。

給炭槽の下にD5146がいました。
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初期型ですが、補助灯もなくきれいな姿でした。

C57154の後ろに標準型のD51がいたり、当時は忌々しかったDD51がいましたが写真は撮っていません。
今も昔も、どうしても希少種を追いかけてしまうのですね。

つぎは島原鉄道です。


では、ぼっちぼちと。




長崎電気軌道 浦上車庫の続きです。

車庫では車輌の解体現場に遭遇しました。
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いまではとても見学できる場所ではないでしょう。
つぎは175なのでしょうか、すでに設備が外されています。

車輛の勢ぞろいです。
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左から152(現151)、203、広告電車370形?、503です。

再び162です。よっぽど印象が深かったのでしょう。
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162の台車です。
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コイルの軸ばねと板ばねの枕ばね。枠は板材の加工でしょうか。

つびは、長崎機関区に行きます。

では、ぼっちぼちと。


長崎本線でC57を作榮した後に、長崎市内にて長崎電気軌道を撮影しました。

かのj地での東京都電2000形の活躍を見たかったのです。

まずは長崎駅前の歩道橋から撮影しました。
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やってきたのは200形210でした。210は長崎電気軌道で初めてワンマン化された電車のようです。

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次は500形504。撮影時点では、最後の自社発注電車だったようです。

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300形305です。

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360形365と200形211が並びました。

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同じ電車ですが、365の前面が見えました。211は前照灯が屋根にのっています。

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370形373、広告電車です。

ここから浦上車庫に行き、珍しい電車を撮影しました。

ようやくお目当ての700形704に会いました。旧都電の2018で、この年(1969年)の8月に長崎に譲渡された6台のうちの1台です。
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もう一台705です。旧都電の2022です。
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ここで、なんと木造のダブルルーフ車に遭遇しました。
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170形177です。元九州電気軌道の35形です。明治末期から大正にかけて製造されたそうです。

車庫に入ったところでもう一枚。
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ここにはもう1形式の木造ダブルルーフ車がいました。160形162です。
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こちらは元九州電気軌道の1形です。170形と同じように明治末期から大正にかけて製造されたそうです。
画質が悪いのですが、カラー写真も残っています。
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少しでも色合いが分かれば幸いです。160形は九州電気軌道時代の姿に復元された168が今も在籍しています。

車庫に入ると木造ダブルルーフの単車がいました。荷物運搬車に改造されていますが、往時の姿は良く分かります。
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次は150形151です。元箱根登山鉄道小田原市内線のモハ20形で、その前身は王子電気軌道の400形だそうです。
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現在、151が箱根登山鉄道の塗装色に戻され在籍していますが。現存する151は旧152で写真の151は解体されてしまったようです。

同じ170形でも窓配置の異なる車がいたので撮影しました。
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今回の最後は廃車されて倉庫として使用されていた単車?
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次回も浦上車庫が続きます。

では、ぼっちぼちと。




2018年の紅白歌合戦で「半分青い」の鈴愛と律を見て、つい懐かしくなって古いネタですがアップします。

岐阜県岩村は城下町で有名でしたが、2018年は朝ドラ「半分青い」のロケ地として一躍脚光を浴びました。
そのセットの一部が保存されていました。
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なつかしい!

街並みは城下町の風情を残していて遠い昔にタイムスリップします。
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ショーウィンドウには「半分青い」の思い出が色濃く残っています。
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もちろん、五平餅もありました。
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鉄ちゃんとしては明知鉄道を押さえずにはおられません。
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出入口の上の駅名はなぜか「右書き」です。

ホームは地方鉄道色が濃く残って、いい感じです。
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ホームには女城主とC12244が。
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お待ちどうさまでした。もちろん列車も撮りました。
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単行ばかりだと思ったら、立派な4両編成がやってきました。
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さて、岩村城跡に登りましょう。城址の入口の太鼓楼です。
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ここから高低差180mの石畳を登って天守閣跡にたどり着きます。はっきり言ってきついです。
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天守閣跡では美しい紅葉も見られ、つらかった登りを癒してくれました。
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最後に、環境を志す者として、この方は忘れてはなりません。
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「環境があって、そこに人間が存在する」 三好 学 博士です。

では、ぼっちぼちと。


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