長崎駅から国鉄に乗り入れている島原鉄道に乗りました。撮影地はたぶん長崎駅でしょう。
キハ55形は国鉄のキハ55形と同機種で自社発注車だそうです。
三本の赤いヒゲは民鉄であることを誇っています。
途中の諫早駅(たぶん)でユニ101を見かけました。
当時の最新鋭のキハ55形。
元キハニ100形で動力を外してユニにしたとのことです。
車庫のある南島原駅ではキハ55形が急行のサボをつけ止まっていました。
ここから車庫を見学させてもらいました。
主力車のそろい踏みです。
当時の最新鋭のキハ55形。
エアサス車だとは知りませんでした。台車はDT23でしょうか。
国鉄のキハ55形と同一車体を用いてキハ26形。
キハ26形はその後冷房化されたそうです。
国鉄のキハ20形と同一機種のキハ20形。
逆エンドからも。
元中国鉄道のキハ250形。
元中国鉄道のキハ250形。
正面には椎さな窓が並び、運転手の前だけ広い窓になっているように見えます。
また、運転席の前には荷台が取り付けられています。地方鉄道ならではという感じです。
キハ253のエンジン部分です。当時は気動車の模型を作りたかったのでしょう。エンジン枠の参考写真です。
キハ?211。エンジンは撤去されているように見えます。
D37形は1968年製で、当時はデビュー2年目のピッカピカの新車でした。
戦後国鉄から払い下げられたキハ200形。その前は中国鉄道にいたとのことです。
キハ?211。エンジンは撤去されているように見えます。
この形式はウィキにも掲載されていませんし、キハ200形とは窓配置も異なります。客車として使用されていたのでしょうか?興味深いです。
ディーゼル機関車も在籍していました。
燃料タンクが地中に埋まっていました。
D37形は1968年製で、当時はデビュー2年目のピッカピカの新車でした。
そしてD37形のデビューでお役御免となったC12。
そして最後は倉庫として使用されていた元客車と貨車。
ナンバープレートも外されているので番号はわかりませんが、その後静態保存されたC1201かもしれません。
貨車もいました。
そして最後は倉庫として使用されていた元客車と貨車。
木造客車もたくさん在籍していたようですから、その中の1台でしょう。
島原鉄道の線区内では走行写真が撮影できませんでしたが、たくさんの車輌に巡り合えて楽しかったです。
この後、フェリーで熊本にわたりました。
では、ぼっちぼちと。