ぼっちぼちの旅日記

各地の鉄道の懐かしい思い出を写真と共にたどります 。

2018年05月

若松機関区から若戸大橋を渡り、戸畑に来ました。

当時、各都市間を結んでいた西鉄北九州線を撮りたかったからです。
撮り始めは戸畑から。車両は前面に流線形を取り入れた100形。
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戸畑駅は若戸大橋のたもとにありました。若戸大橋ができる前は渡船場のそばだったそうです。

北九州線は若戸大橋の下を走っていました。
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戸畑から門司に移動しました。
門司駅前では最古参の66形に会えました。昭和4年製です。
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並走するオート三輪が時代を感じさせます。

66形は後追い写真も撮りました。
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すれ違ったのは、最後まで最大勢力を誇った600形です。
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これも600形。蘇鉄が九州を感じさせます。
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門司から黒崎に移動しました。
100形は製造年で三種類に分類されますが、この車輌は初期グループに分類されます。昭和11年製。
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黒崎車庫方面を見たところです。ここから専用軌道線になります。

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黒崎車庫でお目当ての車輌の写真を撮りました。まずは1000形の2連接車です。
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そして大本命の1000形3連接車に会いました。
後に筑豊電気鉄道に譲渡され2000形となります。
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パンタ側からも。
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1000形の横の本線を200形が走ります。
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車庫の横には国鉄が走っていました。キロ26でしょうか?冷房付きです。
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車庫の出庫線には車体洗浄機が設置されており、ちょうど1000形が洗われていました。
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ここから中間に向かうのですが、その間に撮った車輌たちです。
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中間までは1000形に乗ったようです。
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専用軌道線と鉄道区間はトロリー線ではなく、シンプルカテナリが張られていました。

筑豊中間から筑豊本線の中間駅はすぐそこです。
筑豊本線の蒸気機関車を撮りにいきましょう。

では、ぼっちぼちと。
















若松機関区でSLを撮影した後、いったん門司まで戻っています。

その間の国鉄のスナップです。
戸畑駅でキューロクが石炭車を推進運転いる姿を捕らえました。
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交流電機に初めて会いました。ED72です。
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そして421系に乗って門司に。
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門司ではC11200に会いました。
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C11200は、この後、お召し列車を牽引し、今は、兵庫県たつの市中川原公園に静態保存されているそうです。

そしてブルートレインを牽いてきたEF30をみつけました。
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EF3020でした。
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もう一台EF3017も。
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どうやらEF30を撮るために門司まで引返したらしいです。
この時分にはこの電気機関車にかなり思い入れがあったようなので。

では、ぼっちぼちと。



九州訪問を思い立ったのは、当時通っていたアルバイト先の鉄友が「北九州の空は煙で真っ黒だ」と言って写真を見せてくれたのが発端でした。

アルバイト料の入った給料袋を握りしめて急行「桜島」に乗り込み、堅いボックスシートに約19時間揺られて折尾に降り立ってそのまま若松に向かいました。

九州で初めて見た旅客列車がこれ。
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なんとファン誌でおなじみのC5557でした。初めて見る1750mmのスポーク車輪、初めて見る門デフ。
その均整のとれたフォルムにうっとりでした。
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C55が通り過ぎた後には山並みをバックにした広いヤードが広がっていました。
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朝早い時間でしたが、いつものように機関区の事務所に挨拶して、許可をとって機関区内を廻りました。
機関車庫の中にはD50やC55など、誌上でしか見られなかった機関車がづらりとならび、ドキドキしっぱなしでした。
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庫の外に出ると、キューロクやハチロクが並び、立ち上る煙で本当に空が黒いようでした。
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各車両の写真を撮り納めたのは言うまでもありません。
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キュウーロクには化粧煙突が似合います。
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休車も留置されていました。
C55の初めての形式写真です。1750mmのスポーク車輪は魅力いっぱい。
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D50の初めての形式写真です。D50231の前面プレートは形式番号入りでした。
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給水塔の横にはキュウーロクが佇んでいました。
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九州の蒸気機関車には、「リンゲルマンチャート」が付けられており、煙の濃淡で石炭の燃焼状況を把握していたようです。「リンゲルマンチャート」と言う名前はこの道の識者の方からご教示いただきました。
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後ろに若松駅のホームが見えるところに砂の補給場がありました。
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給炭塔ではD50が整備を受けていました。
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D50140の形式写真です。
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大型ヘッドライト、化粧煙突、標準デフ装備でとても整った姿をしています。この機関車が後に梅小路機関区で動態保存されることになろうとは、当時はわかりませんでした。

最後に若松機関区の全景です。
ぼけぼけの写真ですが、雰囲気が分かれば良いと思い、掲載します。
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この後、一目見て惹かれてしまったC5557の運用表を機関区で教えてもらい、追っかけを始めました。

では、ぼっちぼちと。

若松駅の現在の姿はこんな感じ。面影が感じられるでしょうか?











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