東陽町に行く機会があったのですが、その時に、昔、都電38系統の専用軌道線を撮ったことを思い出しました。
こそで都電の今昔物語をお楽しみください。
専用軌道線はたしか南砂二丁目から始まっていたようでした。
これは少し前方の東陽四丁目交差点
永代通りを左折して専用軌道線に入るところです。
現在はこのあたりです。
昔の専用軌道線は、「南砂緑道公園」になっています。
昔の軌道線に沿って南砂三丁目まで歩いてみましょう。
専用軌道が緑道になってしまったので、軌道横の道が拡張されて車道になっています。
南砂一丁目停留所です。
今はたぶんこのあたりでしょうか。大規模な公営住宅が建ちスーパがありました。
少し南砂三丁目方向に移動します。
今はこのあたり。
南砂三丁目に向かって右に回り込みます。
今はこんな感じ。
もう少し進むと住宅の横を進みます。
今はこのあたりでしょうか。確かに住宅の横を走っています。
そして大本命の越中島貨物線のアンダーパスです。
今はこんな感じ。
この横には「緑道公園」の由緒書きと都電の車輪のモニュメントがあります。
越中島貨物線の跨線ガードをよく見てみましょう。
衝突の注意書きに「城東電軌」と書いてあります。都電時代の注意書きがそのまま残っているのでしょうか?
もう自動車の衝突はないと思いますが。
越中島貨物線をD51が通ります。機関車はこの後の写真からD51488かもしれません。
D51が逆行運転で貨車を牽引します。
専用軌道線の横には汽車会社の工場があったのですが、ガスタービン者の試作車が留置されていました。
特に「注意書き」もなく見学することができました。昔の良き時代です。
アンダーパスを越して南砂三丁目側の写真です。
1500形は列車種別灯?を点灯していたことが分かります。
ちょうど都電のすれ違いが撮れました。越中島貨物線のガード上から撮っているのでしょう。
今はこんな感じ。
この先で専用軌道線が終わり都電も車道に戻りますが、南砂緑道公園も終わりになっています。
最後にオマケです。この辺には、昔、長州藩の大砲工場があったそうです。
江戸時代末期に長州藩が下関封鎖をした時に使用した大砲の模型だそうです。
本当に昔の写真を整理すると面白いもの出てきます。
次は何が出てくるでしょうか?
では、ぼっちぼちと。