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昔の切符を調べていたらブログに書いた行動日程が三日早かったことが判明しました。ま、どうでも良いことですけど。

小砂川でD51を撮影した後、砂越に移動しました。酒田以南はC57の本数が多かったのです。

砂越に着いた早々、DD51牽引の荷物列車が来ました。
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続いて酒田方面からD51の牽く貨物です。
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最上川鉄橋です。子供たちも鉄橋で遊んでいます。私も広い鉄道敷地内で撮影。もう時効でしょう。
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酒田方面から気動車がやってきました。先頭はキハユニ15でしょうか?1971年の時刻表では、この時刻には急行しかないはずなのですが、この編成はどう見ても普通列車です。
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ようやく、お目当てのC57が最上川橋梁を越えてやってきました。下り勾配で駅も近いので煙は微かです。
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最上川をD51が越えてきます。
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D51の戦時型でした。
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ここでC57重連登場。この日最大の収穫です。晴れていれば背景に鳥海山が望めたはずです。
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この列車は最上川橋梁上でDD51の貨物列車とすれ違いました。それがこれ。危うく被るところでした。
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ここで、砂越駅の酒田寄りに移動しました。まず、長野工場型デフを装着したD51が来ました。この日は横位置からの撮影にこだわっています。
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急行北国がDD51に牽かれてやってきましたが、DD51が電柱で串刺し。最悪のシャッタータイミングです。
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この日最後のC57です。煙を気持ちよく上げてくれています。
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この列車も横位置で撮影しました。
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砂越駅にD51一次型が到着しました。この列車で帰りました。
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そして、この列車を余目駅で見送り、鉄旅が終わりました。
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この時は、五能線、奥羽本線、羽越本線を3泊4日でめぐり、煙を堪能しました。
なお、列車番号は1971年時刻表によるもので、撮影時と異なる可能性があるので、?表示としました。

次は何が出てくるでしょうか?

では、ぼっちぼちと